Translated into Japanese by TUP Bulletin.
ビル・クリントンの時代から過激分子ジョージ・W・ブッシュの現在までを見渡 せば、いくつかの点、とりわけ世界でもっとも貧しい諸国に対する政策におい て、このふたりの大統領には共通項がある。両首脳とも、「自由貿易」と企業活 動のグローバル化(世界規模化)を賞揚した。その過程において、両者とも、発 展途上諸国経済にとって災禍としか言えない政策を強行した。
先日7月8日に公表された国連開発計画(UNDP)の年次刊行物、人間開発報 告は、イギリスのガーディアン紙が「失われた10年」と表現する現状を明かし ている。1990年代の経済繁栄期に、アメリカ通商代表部と国際通貨基金
(IMF)は、企業活動グローバル化の進展が上げ潮となって、すべての国の経 済浮揚につながると約束した。現実には、その10年の間にかえって貧困が深 刻化した諸国は、54ヶ国にもおよんだ。
国民の大半が1日1ドル以下の収入で暮らし、あるいは平均寿命がアメリカの それの半分以下である地域では、このような経済の落込みは深刻な結果を招く ことになる。
世界的な貧困は痛ましいが、貧しい国の人びとは自らの責任を問わなければな らないとアメリカ国民は思いこみがちである。たしかに、発展途上諸国に腐敗 構造、不適切な経済運営、日和見政治といった惨状がないわけではない。だが、
富裕諸国が推進する開発政策が(貧しい国々にとって)利益になるよりも、はる かに多大な災いになったことは、国連開発計画報告などの公文書でも明らかで ある。
IMFと世界銀行は、「ワシントン合意」の名で知られる政策にもとづいて、ど の国に対しても「構造調整」という束縛を機械的に押しつけた。しばしば、富裕 諸国は資金不足に苦しむ諸国への融資に自国に都合のよい条件を付ける。IM
Fは「市場自由化」を強制し、貧困諸国の国内市場を欧米企業に解放する。経済 救済策には財政緊縮条件が付けられることが多く、発展途上諸国の医療・教 育・基盤整備支出の削減を強制することになる。
加えて、貧困諸国には、国家予算規模に比べて過分な北側諸国への債務支払い の重圧がのしかかっている。ジュビリー・リサーチなどの債務救済を訴えるN GO連合が主張してきたように、こうした債務の多くは、独裁者の私的蓄財に
流れた借金の尻拭いの類であり、「公序良俗に反する」ものである。多くの場合、 世界市場を制する武器商人でもある富裕諸国が売却した兵器のために資金が注 ぎ込まれた。1990年代中頃に公表された報告によれば、その年代前半期に
おいて、アメリカから発展途上諸国への武器輸出のうち、84パーセントが非 民主的な政権向けのものであったという、おぞましい傾向があった。
国民が暴君を追放しても、過去の政権の巨額債務が残され、新しい社会の構築 を阻害する重たい足枷になる。返済義務の不当さこそが、イラク債務救済をま さしくブッシュ政権が唱導する理由である。残念ながら、再建支援の手を差し 伸べても、ホワイトハウスを利する、目に見えるPR効果がさほど期待できな い国々に、この類の慈悲心が示されることはない。
破滅的な貧窮地帯であるにもかかわらず、サハラ以南アフリカの諸国政府から 北側への支払勘定は、先進諸国からの受取勘定よりも大きいと、経済学者マー ク・ワイズブロットが指摘した。この地域での国際収支はざっと120億ドル の出超(赤字)であり、その多くは債務償還に負っている。
結局、「自由貿易」と言っても、発展途上国にとっては、自由を意味するもので はない。農業助成金の増額と鉄鋼製品関税の引き上げという、ブッシュ政権の 最近の決定に眉をひそめる者ならば、他の諸国を犠牲にして、特定の国々を利
するように、企業活動グローバル化の経済学が絶妙に調整されていることを知 っている。
最悪の1990年代を潜り抜けてきた国々の多くでは、AIDS危機が苦境の 重大要因であった。また、経済不振と景気の落込みに直面した他の国々の多く では、「構造調整」が破滅への道を切り開いた。ワイズブロットの見立てでは、
90年代に実質的な発展を達成した「勝者」は、IMF勧告を平然と無視した諸 国だった。10年間のうちに貧困を実質的に克服したと人間開発報告がお墨付 きを与えた中国とインドは、世界でもっとも手厚い国内経済保護政策を維持す る国々である。
ブッシュ政権は、最新版の国家安全保障戦略において、「国家的成功のための 維持可能な唯一のモデル」があると宣言した。だが私たちとしては、「唯一のモ デル」ではなく、偽りのないデモクラシーと自己決定――外国の金融機関に対
してではなく、自国民に対して説明責任を果たす発展途上諸国の経済モデル― ―が必要なのだ。国連開発計画長官マーク・マロック・ブラウンは、ワシントン 合意に対する「ゲリラ攻撃」が必要だと、紛れのない言葉で語った。
新しい国際経済システムは新しいタイプのグローバル化にもとづくものになる だろう。
10年が失ったものが何であれ、1990年代には目覚しい進展も見られた。 構造調整などの政策を糾弾する活動家たちは地球規模で連帯した。アメリカで は、人びとは海外の状況と国内の不平等とがつながっていることに気付き始め
た。工場人員「削減」の憂き目にあった労働組合員たちは、危険な労働環境と劣 悪低賃金にあえぐメキシコの労働者たちと手を結んだ。カリフォルニアの有権 者たちは、同州の有毒ガス添加物MTBE(メチル第3ブチルエーテル)禁止条
項が不公正な貿易障壁であるとして槍玉にあげられるのを見て、国際的なNG O連合が言う環境「底突き競争」の意味をこれまでにない明晰さで悟った。19 90年代末期には、発言権を要求する大衆的な抗議団体を退けるための警察の 大機動部隊なしには、IMFは会議を開くこともできなくなった。
今日、抗議の群集に加わる開発専門家たちがますます増えつつある。その動機 は明確である――1980年では、アメリカの平均的なCEO(最高経営責任 者)は労働者42人分の収入を得ていたが、2001年では、CEOは411
人分を稼いでいる。世界規模で見れば、格差は極端に拡大し、世界の最富裕層 1パーセントが最貧層57パーセントと同額の金を稼いでいる。
地球規模の格差がクリントン政権下で進展し、ブッシュ政権下でさらに拡大し ている。次の10年を違ったものにするためには、新しいグローバル化を求め る声を地球上広く届けなければならない。